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メルペイ青柳氏が語る、決済サービスを超えた先に見えるもの

お金のあり方が、変わりはじめようとしている。現金文化の残る日本にも、キャッシュレスが当たり前になる時代が訪れるのかもしれない。あるいは、お金そのものが持つ信用力すら、変わってしまうのかもしれない。

お金のあり方が、変わりはじめようとしている。現金文化の残る日本にも、キャッシュレスが当たり前になる時代が訪れるのかもしれない。あるいは、お金そのものが持つ信用力すら、変わってしまうのかもしれない。

そんな変化の中枢で、お金のあり方を見つめる企業がある。メルカリの子会社として金融事業に参入したメルペイだ。代表の青柳氏は、ドイツ証券でM&Aアドバイザー、CFOとしてグリー上場、GREE InternationalのCEOとして事業開発などを経験している。

2016年グリーの取締役退任後は、表舞台からは離れてエンジェル投資家としてスタートアップの支援にも携わっていた。約1年間の時を経ての、メルペイ代表就任は、業界全体を沸かせた。

「なめらかな社会を創造する」と語るメルペイの、ひいては、メルカリの目指す社会とは、いったいどのようなものだろうか。青柳氏のこれまでの経験を紐解きながら、これからの事業構想について伺った。

ITバブルの崩壊とドイツ証券

■青柳直樹(あおやぎ・なおき)  ―元グリー取締役。ドイツ証券を経て、グリーに入社。CFOとして資金調達、株式上場を主導するとともに、事業開発責任者としてゲームプラットフォーム立上げに従事。2011年よりサンフランシスコにて海外事業の拡大に尽力。事業統括本部長を経て、2016年9月にグリー取締役を退任。2017年11月、株式会社メルペイ代表取締役に就任(株式会社メルカリの取締役も兼務)。
■青柳直樹(あおやぎ・なおき)
 ―元グリー取締役。ドイツ証券を経て、グリーに入社。CFOとして資金調達、株式上場を主導するとともに、事業開発責任者としてゲームプラットフォーム立上げに従事。2011年よりサンフランシスコにて海外事業の拡大に尽力。事業統括本部長を経て、2016年9月にグリー取締役を退任。2017年11月、株式会社メルペイ代表取締役に就任(株式会社メルカリの取締役も兼務)。

青柳氏がドイツ証券株式会社(以下、ドイツ証券)に入社したのは2002年。多くの企業でインターンを経験して選んだ、当時の最良の選択肢だった。自身の就活を振り返った青柳氏は「20代は自分に投資する期間だから」と就職先を選んでいた。

青柳 「チャレンジングな環境に自分を置きたいと思って選んだのが金融の世界でした。TOEICの点数なんて600点ほどなのに、外資系に行きたいと思うだなんて、と思いますけれどね」

青柳氏が金融の世界を志したのは、2001年の春。きっかけは、20代のうちにチャレンジングなことをしたいと思って描いた「スタートアップを起業する」という夢だ。金融の知識は、起業の下地づくりのために必要な要素だった。

学生だった青柳氏が体験した、ITバブルととてつもないスピードで進化を遂げるテクノロジー。大きなうねりに飲み込まれるように、青柳氏もまたインターネットの世界に魅了された。

青柳 「最初にインターネットのおもしろさを教えてくれたのは、講師として大学の講義に来ていた“インターネットの父” 村井純(*1)さん。講義を聞いているだけで、インターネットがもたらす影響についての興味がどんどん深まりました」

もうひとつは、青柳氏が実際に体験した、インターネットの力。遠く離れた人とでも、目を見て、声を聞き、笑い合うことのできるインターネットは、青柳氏にとってのまさに「夢」だった。

青柳 「Skypeのようなサービスで、地球の反対にいるアメリカ人の友人と連絡を取っていたんです。当時はタイムラグもあるし動きもカクカクしていたけれど、世界中の誰もがコミュニケーションを取れる時代が来たんだな、と感じました」

就職活動時も、はじめはもちろんインターネット関連企業を志望した。とはいえ、ITバブルがはじけた直後のIT業界イメージといえば、ひどい落ち込みよう。楽天やサイバーエージェントなど一部の企業を除いては、怪しい企業・怪しい人たち。それが、IT業界全体に付いた印象だった。

青柳 「IT業界に進むイメージが持てなくなっていたんです。スタートアップを立ち上げたいと思っていたのでITの知識は付けたかったけれど、だからといって入社するのかと言われると……と思って。そうなったら、20代の自分はなにに投資するのか。選んだ道が、金融でした」

*1:慶應義塾大学環境情報学部教授、大学院政策・メディア研究科委員長。1979年慶大工学部卒業、1984年同大理工学研究科博士課程修了。工学博士。インターネット研究のパイオニアで日本の「インターネットの父」と呼ばれ、Internet Society (ISOC)による2013年インターネットの殿堂(Intemet Hall of Fame 2013)入りを果たす。

企業成長のダイナミクスを実感した

ドイツ証券に入社後は、企業に対してM&Aや資金調達などのコーポレートアクションに関するアドバイザリー業務を行なっていた。数ある証券会社のなかでも、ドイツ証券はテクノロジー関連企業へのノウハウがある稀有な企業だったことが魅力だったそうだ。

ドイツ証券に入社後は、企業に対してM&Aや資金調達などのコーポレートアクションに関するアドバイザリー業務を行なっていた。数ある証券会社のなかでも、ドイツ証券はテクノロジー関連企業へのノウハウがある稀有な企業だったことが魅力だったそうだ。

青柳 「当時のドイツ証券には、スタンフォード大学でMBAを取得していた方が在籍していたんです。彼は、セミコンダクター(半導体)関連事業を展開する企業の取締役を務めた経験を持っていたり、プライベート・エクイティ投資業務などの経験も豊富でした。
 
さらに、彼が才能を買っていたNEC出身のディレクターなども当時のドイツ証券にはいたので、学びの多い環境だったことは間違いありません」

日本の製造業を牽引するソニー、東芝や、IT業界で力を持つソフトバンク、リクルートなどのM&Aや資金調達にも関わったことで、テクノロジーに関する興味関心はより一層沸いていた。

2004年にNECと日立とのジョイントベンチャーによって誕生した「エルピーダメモリ(現、マイクロンメモリジャパン)」の上場準備をサポートしたことで、より金融とテクノロジーとの強固なつながりを願うようにもなったという。

ところが、働く楽しさを知るいっぽうで、青柳氏は自身のキャリアについてわだかまりを感じはじめていた。それは、「5年間」という期間が、企業や人間に与える影響を肌で感じていたからなのだろう。

青柳 「3~4年くらい働いているうちに、勝手がわかってきて仕事そのものはおもしろいと感じるようになっていきました。とくに、クライアントとして楽天のM&A支援を担当させてもらっていた時期には、もっとも企業のダイナミクスを感じた瞬間でもあったので。
 
僕が関わっていた2004年~2005年の期間で、楽天はリンクシェアを買収していますし、球団も設立しています。就職活動当時に入社しようか迷っていた企業が、たった5年でここまで大きくなるのか、と衝撃を受けました」

2000年以降、楽天上場後の華々しい成長を共に追いかけた青柳氏にとって、5年間がもたらした影響は決して「たかだか」などの言葉で表せるものではなかった。

さらに、当時の経営陣や上司の存在も、次の行動を促すうえでの大きな指針になっていたのだという。

青柳 「楽天の当時の経営層は、ほとんどがみんな30代後半でした。しかし、僕の上司も同じように30代後半。この差はなぜ生まれたのだろう、自分はどうすべきかと、自身のこの先を考えたときに、もっとチャレンジングで新しい環境に身を投じなければと思うようになりました」

10年後の自分が目指したい姿があるのなら、その人たちの10年前の行動にならって行動を選択すること。青柳氏が転職を決めたきっかけには、楽天で成果を残した人々の背中があったのだった。

母親泣かせの転職

2005年の1年間、青柳氏は次の行動に向けてIT企業の経営者を尋ねまくっていた。ミクシィ創業者の笠原氏、ドリコム代表の内藤氏など、IT産業の成長の一端を担う人物と出会うなか、友人の紹介で会ったのが、グリー代表の田中氏だった。のちに、CFOを務めることになるグリーとの出会いだ。

2005年の1年間、青柳氏は次の行動に向けてIT企業の経営者を尋ねまくっていた。ミクシィ創業者の笠原氏、ドリコム代表の内藤氏など、IT産業の成長の一端を担う人物と出会うなか、友人の紹介で会ったのが、グリー代表の田中氏だった。のちに、CFOを務めることになるグリーとの出会いだ。

青柳 「学生時代から、インターネットとの親和性が高いSNSという存在に対する期待感は抱いていました。実際に、サービスとしてもぐんぐん力を付けていたタイミングでした」

「これからはモバイルの時代が来るよね」と、SNSの未来を確信して意気投合した田中氏と青柳氏。グリー創業前は楽天でモバイルサービスの企画に携わっていた田中氏と、事業成長の側面から楽天のサポートに回っていた青柳氏との間には、同じ時代を生きる者同士の結束が生まれていたのかもしれない。

CFOを探している、との田中氏の言葉に対しては、突き動かされるような感覚でグリーへの入社の意思を固めたという。

とはいえ、青柳氏が転職を決めた当時、日本のSNSを牽引する存在はmixiだ。のちにソーシャルゲームで成長するGREEも、当時はSNS事業がメインでユーザー数はmixiの10分の1。足元にも及ばなかった。

さらに言ってしまえば、給与も3分の1以下に激減した。「これから伸びるかもしれない」可能性に対して、誰もが選択できる決断では、断じてない。青柳氏を突き動かすのは、いったいどのような感情だったのだろう。

青柳 「リスクを感じなかったんです。というのも、グリーに移るタイミングで他の企業からのオファーもいただいて。なかには、新卒のときには受からなかった企業からのオファーもありました。
 
オファーをいただいたことで自分の市場価値を認識できたので、転職自体をリスクだとは感じなくて。むしろ、お金をもらえるMBAくらいに思っていました。ダメなら、また戻ったらいいかなと。
 
あとは、後悔したくない想いが強かったですね。自分が思い描く10年後の自分になるための決断をしたかったですし、ひとつの企業に長く在籍すると居心地が良くなって挑戦をやめてしまいそうでしたから」

社員番号20番を与えられたが、青柳氏のグリー入社時の社員数は10人。スタートアップの過酷さからか、半分の社員がすでに退職していた。証券会社という華々しいキャリアを5年で手放した息子の決断に母も涙した。それでもなお、挑戦することを諦めきれなかった。

海外展開での苦悩は数知れず

2006年に、青柳氏はCFOとしてグリーに入社した。1年後の上場までは、人とお金の問題にぶつかりながらも、それなりに楽しいことばかりだったという。グリーのCFOとして上場に導く過程では、「釣り★スタ」「探検ドリランド」などのタイトルをリリースし、国内でソーシャルゲームという新市場を急拡大させていた。

2006年に、青柳氏はCFOとしてグリーに入社した。1年後の上場までは、人とお金の問題にぶつかりながらも、それなりに楽しいことばかりだったという。グリーのCFOとして上場に導く過程では、「釣り★スタ」「探検ドリランド」などのタイトルをリリースし、国内でソーシャルゲームという新市場を急拡大させていた。

そんな青柳氏の語る、グリー時代の一番のハードシングスはなにか。こたえは、「海外でのチャレンジ」だった。

青柳 「グリーのCFOとして上場を経験したことで、見栄えのするPL(損益計算書)は作れるようになっていました。10年前の自分が描いた自分になれているのかもしれない、とも思っていました。
 
けれど、ちょっと待てと思ったんです。本当にそれでいいのか、と。本当に成功する人は、現状に満足するのではなく、より大きな挑戦をするような気がしたんですよね。それなら次にグリーが見据えるべき目標はなにかと考えた結果、グローバル展開に挑戦しました」

2010年末の決断だった。2011年より、アメリカ・サンフランシスコに渡って、子会社であるGREE InternationalのCEOに就任した。グリーの存在を誰も知らない土地でのゼロからのスタートに、苦労は絶えなかった。周囲からの嘲笑に負けじと、自ら帰国の退路を絶って事業に集中した。

青柳 「アメリカに行っても、『お前ら本気なの?』『どうせ帰るんでしょ?』と言われていたので、まずはホテル住まいを辞めて家を借りました。そのあと、日本で兼任していたグリーのCFOも辞めて、といった具合でどんどん自分の退路を絶って子会社のCEOに専念する環境をつくりました」

2012年には、Funzioの買収を行い、アメリカでも強力な開発力を手に入れた。「App Store」や「Google Play」などのコンテンツ配信サービスが広く認知されはじめていたタイミングともあって、グローバルディストリビューションできる時代になったと青柳氏は踏んでいた。

時期はややずれるが、青柳氏がサンフランシスコに渡る数ヶ月前には、ゲームプラットフォーマーであるZynga Game Networkが、山田進太郎氏が当時率いていた開発会社ウノウを買収した。プラットフォーマーとデベロッパーが手を結ぶことで生まれるシナジーが、この時代にはたしかにあったのだ。

青柳 「サンフランシスコでは、ふたつの事業を展開していました。ゲームプラットフォームのGREEと、タイトル開発のゲームスタジオです。ただ、日本と異なって、アメリカでプラットフォーマーがタイトルを制作することはほとんどありません。AppleやFacebookがタイトルを制作しないのが例ですね」

アメリカ発の世界的な影響力を持つ企業、例にあるようなApple、Facebookなどは、プラットフォーマーの立ち位置でエコシステムを提供している。タイトル開発とプラットフォームの運営を日本から飛び出したばかりの企業が行うには、大きな壁が立ちはだかっていた。

プラットフォーム撤退の決断と覚悟

悩んだ挙句、プラットフォームはたたむことを決断した。それも、縮小ではなく“シャットダウン”というかたちで。法整備や雇用の流動性が異なるアメリカだからこその判断だが、青柳氏の心のなかには大きな反省が残ったという。

悩んだ挙句、プラットフォームはたたむことを決断した。それも、縮小ではなく“シャットダウン”というかたちで。法整備や雇用の流動性が異なるアメリカだからこその判断だが、青柳氏の心のなかには大きな反省が残ったという。

青柳 「人件費や事業拡大の側面からやむを得ない判断ではありましたが、一緒にこれまで働いていたメンバーに事実を伝えなければならない瞬間がとてもつらくて。2012年の後半、サンクスギビングデーの少し前のことでした」

ゲームスタジオを成功させるために、プラットフォームをたたむ決断。フォーカスすると決めたからには、絶対に失敗できないと強い意思を抱いたという。

青柳 「日本でグリーはもう成長を遂げていたので自分が帰る場所はないし、今ここで事業を成功させなければ誰にも顔向けできないと思ってがむしゃらに走っていました。じつは、当時の記憶があまりないんですよね……(笑)」

刹那に表情が曇る。その表情から、当時の苦悩が感じとれた。
奔走の結果もあってか、2013年には売り上げも黒字に転換。どん底から這いあがるパワーがあったからこそ掴みとれた成功体験だった。

青柳 「グリーのコーポレートバリューにも掲げられている『成功するまでやり続ける。』を体現したエピソードだったと思っています。グリーの創業期にも、苦しい時代から上場までを経験できましたし、アメリカでも赤字続きの状態からなんとか黒字化できました。
 
その後、グリー退職までの少しの期間、日本に戻ってきていますが、そこでもやはり成功体験があったからこそのサバイブを信じられるようになっていましたね」

10年間の時間をグリーで過ごすなかで見えた、黎明期の苦悩と成長期のスピード感。これらをすべて経験したうえで、次のグリーのチャプターが見えかけた頃、グリーの肩書きを外す決断をした。2016年の秋のことだった。

せわしない日々から抜け出した

2016年9月のグリー退職後、2017年11月のメルペイ代表就任までの約1年間、青柳氏は表舞台から姿を消している。家族との穏やかな時間を過ごすいっぽうで、エンジェル投資家として企業のサポートに回った。ところが、抱いたのは「もっと事業に入りこみたい」という想いだった。

2016年9月のグリー退職後、2017年11月のメルペイ代表就任までの約1年間、青柳氏は表舞台から姿を消している。家族との穏やかな時間を過ごすいっぽうで、エンジェル投資家として企業のサポートに回った。ところが、抱いたのは「もっと事業に入りこみたい」という想いだった。

青柳 「これまでの10年間、分刻みのスケジュールで働いていて、ラストなんて毎月のように日米を往復していました。せわしない日々を過ごしていたので、退職してから本当に暇で(笑)
 
あまりに時間があるので、経営会議に出る夢とか見てしまうんですよ。だから、有意義に時間を使おうと思って、子どもが小さなうちに旅行したり、父とゴルフに行ったりしていました。
 
ただ、それでもまだ時間があったので、グリーの外部顧問を務めさせてもらったり、グリーとはかぶらない領域のtoBサービスを提供する企業の社外取締役を引き受けたり、エンジェル投資家として企業に投資していました」

投資の利回りが60%を超えるなど、投資家としてのセンスは自身のなかに感じていたという青柳氏。ところが、これまでの経験を活かせる場、やりがいやおもしろさを感じられる場は、投資の世界ではなかったようだ。

青柳 「エンジェルラウンドって、当たり前ですがシード期の投資なので早いタイミングで訪れます。事業が拡大すると、自分の手からは離れていってしまうんですよね。投資していくうちに、もっと事業に入りこみたいし、ワクワクしたいし、自分の希少性が活きる場所にいきたいと感じたんです」

投資家として企業の株を預かる場合、これから先の10年間を投資家として過ごすことになる。当時38歳だった青柳氏であれば、40代の人生を「投資家」として生きる選択だ。

多くの可能性を洗い出し、自分の気持ちと対峙した結果、青柳氏が選んだのは事業にダイレクトに携わる人生だった。そこには、グリーでまだ成し遂げられなかったことがあるのではないかという、さらなる挑戦の意思があった。

多くの可能性を洗い出し、自分の気持ちと対峙した結果、青柳氏が選んだのは事業にダイレクトに携わる人生だった。そこには、グリーでまだ成し遂げられなかったことがあるのではないかという、さらなる挑戦の意思があった。

青柳 「経済的なことだけ考えると、魅力的なオファーは正直たくさんありました。けれど、自分の意思決定について改めてじっくり考えたときに、僕は経済条件で比べる決定はしたくないと思いました」

働くうえでの経済条件は、いくらでも比べられる。より良い経済条件を求めて企業を選ぶことだってできるだろう。しかし、青柳氏の意思決定のポイントは、別だった。

青柳 「そもそも、僕の意思決定が経済条件によって成り立っているなら、ドイツ証券を辞めてグリーにはたぶん行かないですよね。そんな僕らしさを考えると、グリーで10年間過ごしてある程度のお金も得た自分が、リスクを取らないで投資家としてお金を増やそうとする意思決定は違うなと。本当にやりたいことをやろう。そう思ったんです」

人間みんな最後は老いるし、稼いだお金はあの世には持ち越せないし、子どもは自分の背中を見ている。そう考えると、子どもにも見て感じてもらえるサービスを残したいと思ったのだという。家族や社会に対して、自分の経験を活かして貢献したいのだと強く強く感じていた。

IT大国・中国の視察と山田進太郎の描いた世界

そんなタイミングで青柳氏に声をかけたのが、山田進太郎氏だ。メルカリやメルペイの構想を聞いたうえで、世界一Fintechが加速している国・中国を訪れて見た現状は、想像をはるかに上回るものだった。

そんなタイミングで青柳氏に声をかけたのが、山田進太郎氏だ。メルカリやメルペイの構想を聞いたうえで、世界一Fintechが加速している国・中国を訪れて見た現状は、想像をはるかに上回るものだった。

青柳 「はじめは、メルカリで金融事業に取り組むとだけ聞いていたので、楽天・ヤフーのような決済サービスなんかを思い浮かべていました。それは僕じゃなくてもできるでしょうと、断っていたんです。進太郎さん、すごいなあ、頑固に誘ってくるなあ、くらいの気持ちでした(笑)
 
ところが、『WeChat Pay』『Alipay』によってキャッシュレス化が進む中国の状況を見て思ったんです。これは、日本にはないやつですねって。中国にはあって、日本にはなくて、シリコンバレーにもない法制度や事業環境がそこにはありました。
 
そして、中国を見て、話を聞いてわかったんです。メルカリの構想は、社会インフラの一端を担って、ただのフリマアプリからメジャーアップデートして違う業態へと変わっていくことなのだと」

フリマアプリとして知られる「メルカリ」も、決してフリマアプリに留まろうとしているわけではない。いずれ、日本の金融を震撼させるエコシステムを生み出すだろう。その構想の核となる想いを知った青柳氏の心は、揺らいだ。

青柳 「ペイするだけではない、新しい金融のあり方を山田や現代表の小泉と議論するようになりました。ちょうどブロックチェーンの技術も発達してきているタイミングだったので、合わせてなにかできないだろうかとかも考えて。
 
扱うテーマも興味深いし、執行役員全員と話していくなかで、この人たちと働く未来は見えると思ったんです」

入社するイメージがより湧いたとき、青柳氏が思い出していたのは、グリーへの転職時に抱いた感情だった。

青柳 「SNSがこれからもっと伸びると感じたことと、田中さんの考えに共感したこと。グリーへの参画のきっかけはそのふたつでした。そう考えると、やっぱり意思決定のポイントは“やりたいこと”と“人”なのだろうなと。
 
最後は、『直樹さんに任せるから。会社をつくるから』と言ってくれたので、それなら期待に応えたいということで、代表になることを決断しました」

キャッシュレスの実験場をつくる

メルペイがミッションとして掲げるフレーズ、「信用を創造して、なめらかな社会を創る」。ここには、従来の金融のあり方をがらりと変えるのだという確固たる意思が感じられる。

メルペイがミッションとして掲げるフレーズ、「信用を創造して、なめらかな社会を創る」。ここには、従来の金融のあり方をがらりと変えるのだという確固たる意思が感じられる。

とはいえ、現在のメルペイは先々の構想のほんの一部しか語っていないようにも見えるが、実際のところはどうなのだろうか。これまでのインタビューを踏まえて青柳氏が抱く構想を、少しだけ深掘りさせていただいた。

青柳 「メルペイができる前、いつか小泉が『メルカリでまちづくりがしたい』と言っていたことがあるんです。そこは僕もいずれ挑戦したいと思っている領域でして。メルペイを通してキャッシュレスの実験場をつくることで、これいいね、と伝わることが増えていくと良いなと思っています」

現在の中国は、まさにテクノロジーが街をつくっている。深圳(しんせん)に本拠地を置く時価総額アジアNo.1企業のテンセントや、世界最大規模のモバイル決済都市・杭州を生み出したアリババグループは、いずれも一企業ながら、決済のあり方で街全体を変えた。

とくに、世界を驚かせた例としては、アリババグループの運営する無人スーパー「盒馬鲜生(ファーマーシェンション)」が挙げられる。無人の仕組みを可能にしたことはもちろんだが、アリババが実現しつつあるのは、人やものの流動性すら変化する世界だ。これまでのお金が持つ信用のあり方は、少しずつ確実に変わっている。

青柳 「たとえば、電車に乗るときにICカードの残高が足りなかったとしましょう。今の日本のシステムでは、残高が足りなければ電車には乗れません。ところが、メルカリを日頃から取引してくれている人として決済データが残っているなら電車に乗れるかもしれない。そんなことができたら、おもしろいですよね」

メルペイだけでなく、現在の日本には信用創造を目指すスタートアップが次々と産声を上げている。

「CASH」や「TRAVEL Now」などを展開するBANK代表の光本氏や、「Coiney」と「STORES.jp」を運営するコイニー、ストアーズ・ドット・ジェーピーの持株会社として生まれたhey代表の佐藤氏らの目指す世界観とも近しい。

青柳 「僕らは上場企業としてフルスイングで、光本さんや佐藤さんは金融ではない場所から。登り方は違えど、創りたい社会像は似たところだと思っています。とくに、メルカリに関しては、サービスで囲い込むのではなくエコシステムをつくりたいのだと上場前くらいから発信を続けているんです。サービスを使ってもらうのではなく、サービスを用いてエコシステムをつくること。それが、メルカリの目指す世界です」

これまでの金融サービスにはない価値を生み出す

今の日本は、一つひとつのサービスが独立している。つながる文化ではなく、マーケットシェアを獲得する文化と競争のなかで成長してきた産業だからだ。青柳氏が変えたいと感じているのは、仕組みそのものだった。

今の日本は、一つひとつのサービスが独立している。つながる文化ではなく、マーケットシェアを獲得する文化と競争のなかで成長してきた産業だからだ。青柳氏が変えたいと感じているのは、仕組みそのものだった。

青柳 「今はまだ、生きるうえで現金は必要ですが、それによるコミュニケーションのイライラや困りごとはもっとなくしたいですよね。
 
たとえば、予約も会計もいらないレストランとかあったら、便利じゃないですか。入店前にメニューは決めてあって、来店時間だけわかって料理を食べて、チェックアウトと同時に支払いも終了している、みたいな。これから労働人口が減少していく日本なのだから、省人化できるメリットもありますしね」

「最後発の金融業だからこそできる金融を」

青柳氏が目指す世界観は、すべてこの言葉に集約されるように思う。従来の金融サービスが、大手金融グループそれぞれによって運営されていたから起きる本人確認などの弊害は、「メルカリ」というワンアプリで解決する未来が訪れるかもしれない。

フリマアプリの提供によって、ペイメントウォレットや決済に関わるあらゆるデータを確保すること。そして、ワンアプリで多様な可能性を実現すること。メルカリほどの企業規模があるからこそできる取り組みだ。

青柳 「開発力・法律・コンプライアンス・デザインなどのあらゆる側面をカバーする体制がないと、この事業はできません。そういう意味では、メルカリがギリギリがんばれる規模の企業なのかなと。メルカリのバリューにある“Go Bold(大胆にやろう)”を体現できて、かつ、法令遵守にフルスイングできる稀有な企業なのだと思います」

2018年4月に経済産業省が発表した「キャッシュレス・ビジョン」の効果もあり、日本の経済を変える動きはどんどん広がっている。市場が大きくなり、各社がそれぞれの方法で切磋琢磨していく未来によって、日本経済はがらりと変わるだろう。

メルカリがフリマアプリで築いたひとつの市場。それは、暗にフリマを世の中に広めようと生まれたサービスなのではなく、世間の不均衡をテクノロジーの力によって解決したひとつの例にしか過ぎない。

「フリマアプリのメルカリ」ではなく、日本のテックカンパニーとしてメルカリが創造する事業は今後も広がっていく。メルペイは、メルカリが次に走りだす道をつくるためのひとつの核としての責任を背負っている。

青柳 「これまで5年間メルカリをつくってきて、また先の5年間でさらなる新しいメルカリを見せていきたいです。そして、メルペイを通して描く新しい世界の創造を促進できるようにがんばっていくつもりです」

Amazonが単なるECサイトに留まらず「AWS」や「Amazon Go」を展開していくかのように、日本社会が変わるべき要素を見出して変化を生み出すことを目指してメルカリは今日も未来をつくる。

Amazonが単なるECサイトに留まらず「AWS」や「Amazon Go」を展開していくかのように、日本社会が変わるべき要素を見出して変化を生み出すことを目指してメルカリは今日も未来をつくる。

青柳氏率いるメルペイは、そのそばにある金融インフラを担う企業として、メルカリだけでなく日本の金融業界全体を牽引する存在となるだろう。

取材時、青柳氏は「目指している対象が10年前に取ったであろう行動を選択する」と何度も口にした。数々の挑戦を選び、行動し、そして今となっては誰かの道ではなく自らの道を切り開いた。別の誰かの指針とすらなっている。

人は10年で、驚くほどの変化を遂げる。時間は有限だ。やりたいことがあるなら、じつは迷う暇なんてないのかもしれない。それならば、今の私たちが、取るべき行動はなんだろうか。

執筆:鈴木しの
取材・編集:Brightlogg,inc.
撮影:横尾涼

※現在メルペイでは採用強化をしております。

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